
と希少動植物の保護との矛盾、ダイオキシン汚染など身近な地域の環境問題がこれほど逼迫しているときに、それを離れて抽象的に地球環境問題を論じるだけの理工科系の環境学者や彼らを招聘する大学に対し、私は少なからぬ不満を抱いていた。それだけに、地域の環境問題と地球環境問題の双方に精通する山村氏がどのような講義をされるのか、大きな期待を持っている。ついでにいえば、全国各地に地域で地道に環境問題に取り組み、住民を支援している多くの優秀な弁護士がおられる。大学は彼らこそ環境法の教員として、非常勤であっても招くべきではないか。単なる知識ではなく、生々しい現実の題材こそ、学生に環境に対する関心を呼び起こすのである。
3.政策系学部の問題点と今後の発展の方向
(1)政策系学部の理想と現実
これまで各大学の項目で述べてきたように、政策系学部を設置するに当たって、大学はそれぞれ苦心して基本理念をつくり上げている。SFCは、最も端的に「初めに理念ありき」と主張する。そして理念を実現する手段である教育システムを徹底的に改革したところに、SFCの先進性があった。そのSFCが掲げる理念の1つが、「異質性・多様性を取り込んだ総合的評価・判断能力の追求」であった。これを立命館は「政策マインド」と言い換え、「対立する価値や利害関係の間に一定の断を下す者に何よりも必要とされる気概や責任感」である政策マインドを培うことを学部の目標としている、中央大学総合政策学部は、「文化的背景を重視した政策科学」を提唱し、アメリカからの直輸入ではない新たな政策科学の構築をめざしている。そして、関西学院大学総合政策学部は、ヒューマンエコロジーをべ一スとした環境政策科学としての政策科学を追求している。
これらの理念を読むかぎり、政策科学が従来の「政策手法」あるいは「テクニック」優先の時代から「マインド」優先の時代へと新たな転換を見せたことを感じさせる。1970年代に設立された政策科学系の大学院がいまひとつ成果を挙げられなかったのは、いささか独断的な意見をお許しいただければ、設置理念としてはH.D.ラスウェル流の「諸科学の総合」的な政策科学像を提示していながら、実際の設置科目が「システム分析」など政策形成の合理化・効率化をめざした「手法」や「テクニック」の修得に大きく偏っていたことが指摘できる。だが、現実の政策形成は対立する価値や利害が激しくぶつかり合うアリーナの中で行われるのであって、合理化や最適化・効率化を追求する手法は、現実の政治
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